東日本大震災から1年が経過し、3度目の被災地に入りました。
-2012年3月28日(水)~29日(木)視察報告-

■ 宮城県気仙沼市

新幹線の一ノ関駅からローカル線で約1時半、初めて「気仙沼市」を訪問しました。
 ちょうど昼時でしたので、仮設ながら元気な復興の姿を少しでも見たいと思い「仮設屋台村気仙沼横丁」に行き美味しい海鮮丼を食べました。今回は、上田ゆきこ議員と二人で視察です。
 午後から津波で無事だった「気仙沼市役所」の市議会を訪れ、「震災復興計画」の概要説明を受けました。「何度も津波で大きな被害を受けた気仙沼市ではあるが、やはり気仙沼は『海と生きる』ことを決めて国の復興計画や宮城県の復興計画を踏まえて策定した。」とのお話を伺いました。
 その後、近くに事務所がある「気仙沼商工会議所」で水産業・中小企業の実態をヒヤリングさせていただきました。「市の土地区画整備計画が固まっていないので、建築規制がかかって事業計画を前に進めない。39の商店街のうち29商店街が被災している。現在、『グループ支援復興金(4分の3の補助)』を使って民間の復旧事業を支援しているが、民間には復興に使えないなど、国の使い勝手が悪い補助金で困っている。また、仮設住宅では、コミュニティが崩壊している。働く意欲が湧かない状況にある。今でも市の人口が1万人ほど減っている。雇用の場が確保できないと、さらに人口減少が加速し心配である。」との深刻な状況を伝えてくださいました。この訴えは、現実の課題で印象的でした。

生鮮カツオの水揚げ量が14年連続日本一の気仙沼港は、震災後3ヶ月で昨年6月28日にカツオが水揚げされ「復興のシンボル」になりました。
 街の中には、まだ大きな漁船が残されたまま、さらに火災で燃えた建物や車が山積みされているなど、震災・津波の大きな被災状況が多く見られました。

■ 岩手県陸前高田市

今回が2回目の陸前高田市を訪れました。気仙沼からは鉄道が復旧していません。タクシーをチャーターして市の中心部に入りました。見渡すところ全てが壊滅的な被害を受けていた市内中心部、昨年8月視察した時は、瓦礫処理すら手が付けられていませんでしたが、今回は、いたるところにシャベルカーが動き、瓦礫処理や地盤改良、新たな施設建設の様子が見られました。
 2万本のうち1本残った高田の松は、被災地陸前高田市のシンボルになっています。市民の気持ちや対策が施され何とか健在でした。また何年か後には、松林がきっと復活するでしょう。
 「陸前高田市役所」は、津波で全壊の壊滅的な被災を受けました。まだ中身がみんな流された庁舎だけが建っていました。現在は、車で5分ほどの高台に仮設庁舎(ほとんど本庁舎)を建てられ市役所の機能を果たしていました。今回は、面会の予約なしで議会に資料を頂きに参りましたが、議会事務局と登庁していらした市議会議員 菅野広紀氏が丁寧に対応して頂き、少しお話を伺うことができました。
 「陸前高田市震災復興計画」によると、高所移転を基本とした山側に新たなコンパクトな市街地の形成、被災した海岸地域の低地部は、市の根幹的産業と連携した新産業ゾーン、公園、農地等の活用、市のシンボルの高田松原公園の再生に「防災メモリアル公園ゾーン」などの整備が計画されています。
 しかし、市役所の庁舎が残った市と比べて全壊した陸前高田市は、職員や議員も亡くなった方がいるなど大変な被災状況です。専門の職員も数も少なく困難な状況であると実感しました。

■ 岩手県大船渡市

28日夕方、昨年5月と8月に訪れた大船渡市に3回目の視察に入りました。
 津波で壊滅的だった市場や水産業地域は、だいぶ瓦礫も撤去され街全体が片付いていました。
 前回、市職員の方から、「大船渡魚市場整備」の計画の説明を受けましたが、まだ市場は稼働していませんでした。約80センチも地盤沈下していることから、地盤の整備が最重要課題です。
 翌29日、前回もお世話になった大船渡市議会議員 船野 章氏のご案内で大船渡市役所 復興局の局長 佐藤高廣氏に「大船渡市復興計画」の概要を伺いました。計画は、前期(3年)中期(3年)後期(4年)の10年、233事業の計画です。市民と一緒になって市民も汗を流してもらうというスタンスです。しかし、湾の入り口に10mの防潮堤、内側にも7.2mの防波堤を建設して二重の防災対策、さらに20数地域のうち4地区が国の復興交付金で高所移転をすることが認められたと報告してくださいました。しかし、国の復興庁や岩手県との協議はなかなか大変なようです。国の用意した40メニューの復興交付金は、「使い勝手が悪い」ことから、運用や解釈で少しでも活用を図っているとのことでした。
 その後、街に出ました。市内では一番大規模な「仮設商店街」の「おおふなと 夢 商店街」を訪れました。震災後8ヶ月の12月に33店舗で営業を開始しました。(こうした仮設商店街は市内で現在10箇所できているとのことです。)理事長の伊藤 修氏や商店の方にお話を伺いました。 「仮設はあくまでも2年の期限付き、国の復興補助金のグループ支援金を活用して商店街を復興したいと準備を進めている。しかし、市の復興計画が実現するには7年もかかると言われている。それまで持ち堪えられない。津波対策は、山側に避難道路を3本通してもらえば市民は逃げられる。少しでも早く中心部の区画整備を進めて産業や商業が復興できるようにしてもらいたい。」と強く訴えていました。当然の要望です。

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