2016年10月27日 熊本県 被災地 研究会 @ホテル熊本テレサ3階「たい樹」

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◇初めに、大西一史熊本市長から熊本地震体験した市長として報告を受けました。(主なポイント)
・13時~五城目町総務課長より、町の概要説明を受ける。(人口:9481人/27年)
・13時20分~五城目町議会の議場や控え室を見学(議員数:14名)
①風水害対策が先行し、大規模地震は想定外だった。
②災害対策を指揮する部屋の機能は重要だ。(実際の部屋はシャンデリアが落ちてきそうで移転した)
③住家被害の判定員が不足、余震が続いたので家で寝れない避難者(車中泊)が想定外に多く連休まで大変だった。
④5/8に小、中学校再開したことが大きな節目になった。9/15全避難所閉鎖。8/6日「火の国祭り」を行うことで復興への機運が増した。
⑤第7次総合計画、前半を復興計画とする。熊本市民病院の早期再開(現在入院患者を転院させている)や熊本駅再開発を同時に進め、復興プロジェクトは2年で行う予定。
課題
①3日分の水や食料の備蓄を、最初の2-3日が水不足
②情報はテレビ、携帯電話、避難所の携帯充電器配備を
③WIFIは必ず必要、市長自らツイッターを配信した。
③避難所の認知度が低かった(知っている人3割、若い人は知らない)
④避難所の避難者は半数が受け身、運営に関わらない。
⑤車中泊や指定されていない避難所に避難する人が多くて状況把握や救援物資配給が困難だった。
(情報の共有が課題)
◇次に、熊本県庁 危機管理防災課 有浦 隆氏 の報告
①ピラミッド型の組織運営では、下から見ると誰が指揮官かわからない。
②地震における死亡が50人なのに関連死が89人は問題。②水4リットルリュックに背負い、うちわと塩が必需品だった。②女性と子供目線で準備をすること。そうでないと1時間ももたない。
③被害発生直後から行政の事務、訓練が必要。罹災証明などスピーディーに。
④各避難所は、住民がリーダーになって運勢すべき。
⑤セットパックリュック方式を採用すべき。
◇次に、大分市議会のBTP(業務継続計画)が紹介されました。(大分市議会副議長 今山裕之氏)
◇熊本市議会は、議員は4月中地元で活動6月に1日だけ議会開催して緊急案件だけ議決した

2016年10月28日 熊本地震 現地視察 熊本城

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◇2日目現地視察は、特別に熊本城を観光ボランティアガイドさんが案内していただきました。
熊本城は、国指定文化財です。、平成31年までに天守閣を復興させようと工事の計画がありますが、費用は71億円の予定です。崩壊した城壁は、石に番号がふられていて、それをを一つ一つ順番に並べていくという気の遠くなる作業で復元するそうで、おそらく30年はかかる予定だそうです。、現在、お城は距離を置いたところから見学できます。一日も早い復興を願う市民の思いで、城は夜ライトアップされています。今では、復興のシンボルになっています。  

・栄養士の先生から、町の地産地消の給食理念を伺う。夏休みに、玉ねぎなど下処理した野菜を冷凍しておき、野菜をたくさん食べるメニューを組み立てている。 ・給食の食べ残しゼロの取組みや町の人を招いて食堂を開催しているとのこと。
☆オプション:福禄寿酒造「一白水生」蔵元の見学(町の銘酒)

熊本地震 現地視察 益城町

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◇2か所目は、甚大な被害を被った益城町を訪ねました。家屋被害は活断直下の町で活断層にそって崩壊しています(約3千棟)。行政は道路を優先して瓦礫を道の両側に寄せていました。行政が行う解体・撤去を待ちきれない家は、自費で解体工事を進めていました(補助57万6千円)。仮設住宅(1,562戸)に皆さん一応入居され、避難所は全部閉鎖されていました。
◇写真左の女性は、避難所のリーダーとして上手な避難所運営をなさった「益城だいすきプロジェクト」の吉村 静代さんです。
昼間は布団を上げて、カーテンを開けましょう。家にいる時と同じ様にみんなで掃除しましょう。と声をかけ運営のルールを誘導させた。食事コーナーを設置。子供が遊べるスペースを確保する。中学生以上が消灯過ぎても勉強でくる部屋を創る。
など4か月間にわたり避難所のお手本となる素晴らしい運営をなさっていました。この成果が評価されて、全国から視察が殺到しています。

熊本地震 現地視察 西原村⇒南阿蘇村

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南阿蘇村へは、車で10分あれば行ける道路が寸断されているので、片道1時間かけて迂回して入りました。左の写真は、(霧で見えませんでしたが)深さ300M断崖絶壁に寸断されています。この工事の計画はありますが、工事予定は未定とのことです。(ご案内いただいた現地派遣の熊本県の土木関係者の話) ◇村の中は、古い家は崩壊して、新しい耐震基準の家は大丈夫な様子でしたが、道路の寸断で生活物資の運搬や復興の目途が立っていない様子でした。

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