今回が2回目の陸前高田市を訪れました。気仙沼からは鉄道が復旧していません。タクシーをチャーターして市の中心部に入りました。見渡すところ全てが壊滅的な被害を受けていた市内中心部、昨年8月視察した時は、瓦礫処理すら手が付けられていませんでしたが、今回は、いたるところにシャベルカーが動き、瓦礫処理や地盤改良、新たな施設建設の様子が見られました。
2万本のうち1本残った高田の松は、被災地陸前高田市のシンボルになっています。市民の気持ちや対策が施され何とか健在でした。また何年か後には、松林がきっと復活するでしょう。
「陸前高田市役所」は、津波で全壊の壊滅的な被災を受けました。まだ中身がみんな流された庁舎だけが建っていました。現在は、車で5分ほどの高台に仮設庁舎(ほとんど本庁舎)を建てられ市役所の機能を果たしていました。今回は、面会の予約なしで議会に資料を頂きに参りましたが、議会事務局と登庁していらした市議会議員 菅野広紀氏が丁寧に対応して頂き、少しお話を伺うことができました。
「陸前高田市震災復興計画」によると、①高所移転を基本とした山側に新たなコンパクトな市街地の形成、②被災した海岸地域の低地部は、市の根幹的産業と連携した新産業ゾーン、公園、農地等の活用、③市のシンボルの高田松原公園の再生に「防災メモリアル公園ゾーン」などの整備が計画されています。
しかし、市役所の庁舎が残った市と比べて全壊した陸前高田市は、職員や議員も亡くなった方がいるなど大変な被災状況です。専門の職員も数も少なく困難な状況であると実感しました。